砂上の楼閣

socialcompany2006-01-23

「投資家が『砂上の楼閣』をつくれるようなストーリーが描ける銘柄を探そう」
(バートン・マルキール 『ウォール街のランダムウォーカー』)

なんて書き出しで書かれていたエッセイをふと思い出して昔の雑誌を探してみた。

「昨年(2003年)から今年(2004年)にかけてのライブドアの相次ぐ株式分割と、株式市場における投資家人気、その間隙をぬった時価発行増資は、日本の証券市場の歴史の中でも、特筆すべき事件である。そして遠からず、特筆すべき不祥事として記憶される可能性さえある。」

(中略)

「それは、経営者・オーナーたる堀江だけの責任ではない。そう遠い昔でもない80年代のバブル経済や、つい数年前のネットバブルの経験にも関わらず、経済合理性を置き忘れて株価の加熱に一喜一憂する投資家、引き受け業者としての矜持を失念してしまった証券会社との連帯責任である。」

それは思いのほか古く一年半も前の2004年9月号に書かれたものだった。
新潮社「フォーサイト」での喜文康隆氏の連載「経済報道「解読ノート」36〜
ライブドア堀江貴章は”救世主”にあらず」(p.48-49)


この記事を読んだ当時、とても印象に残った記事だったにも関わらず、静かに読んで自分だけで、本当かな、と思いながらも納得していたことを思い出しました。それでいてとても予感的な感じがしたことが印象的でした。


世の中では「古い慣習を壊す改革者」そして新しい時代の寵児としてプラスの評価が多くを占めている時だったゆえに、一方で踏み絵を踏むことを拒むようなことはなかなか言いにくい雰囲気があったことも事実だと思います。


今日からしばらく、大量の文字・映像が押し寄せてくると思う。政治・経済・社会・文化への影響などあらゆる側面から、とどまることなく感情的で、短く切り出されたサウンドバイトなコメントと供に。

そんなときだからこそ、上記喜文氏のように、本質を見る目を持ちたいなと思った次第です。